誰もが感じる24時間テレビの違和感と不快感。障害者の方が企画した方が絶対にいいと思う。

家に帰ってきたら、ちょうど24時間テレビでよさこい踊りを踊っているところでした。

盲目と難聴を持つ子どもたちが踊っている姿にはとても感動しました。

本当に凄い!

目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりする困難があるなか、ああいうふうに、踊るのって本当に大変なことなんだと思う。

ただ、なにかやはり感じる違和感と、自分に対する不快感のようなものを感じてしまいました。

それがなんなのかというと、「自分よりも苦境に立たされている子どもたちが一生懸命頑張ってる、だから僕も頑張ろう、頑張らなくちゃ」って思ったからなんですね。

ここに全てが込められています。

『いや違うぞ、』と

全く違うと思うんですよね。

「なぜ、彼らが普通に、目が見えて、耳が聞こえる人たちと同じ事ができることを評価するのか?」

言ってしまったら、目が見えないとか、耳が聴こえないっていうのは、能力だと思うんですよね。

例えば、目が悪くなった人は聴覚や嗅覚が優れているとか、聞きますよね。

目が悪くなったからこそ、耳が悪くなったからこそ、僕ら普通の人よりも優っている長所って持ってると思うんです。

なのに、

『目が見えないのに、、、耳が聴こえないのに、、、普通の人と同じことができるなんて凄い!』

って評価するのって違うと思うんですよね。

彼らは僕らよりも上でも下でも無いのにかかわらず、『僕らと同じことができて、で凄い』って考え方が違うなってことです。

じゃあ、逆に、僕らを超えることができるのか?なぜ、わざわざ、苦手なことをして、ハードルを上げたところで他人と勝負しなきゃいけないのか?

それが全く違うと思います。

きっと、彼らには彼らにしか、持ち得ない能力を持っていると思うんです。

だから、あの企画って普通の人が作っちゃいけないと思うですよね。

ぜひ、障害者のトップリーダーみたいな人が出てきて、「実は僕ら、あなたたち、普通の人より凄いんですよ!知ってました?こんなこと出来ます?」

みたいなことを企画してやって欲しいと思うんですよね。

それは僕には何かわからないけど、彼らの超人的なところを見てみたい。

そう思います。

なので来年の24時間で障害者の人の特集をやるのであれば、障害者のことをよく分かっている、障害者の人に企画して欲しいと思います。

乙武さんだっていいと思います。

健常者と呼ばれる人の目線のパフォーマンスじゃなくて、障害者の目線でのパフォーマンスを見てみたい。

本当の感動って、そこから生まれると思います。